さる頭の猿の戯言です。お脳全壊です。気持ち悪いことを言っているので、ご注意なのです。
たぶん混乱しますから。
勉強不足なので、まだまだヒューマニズムだかなんだかについて吐き出すのは早いのですが(ほんとにな!ほんとにな!ほんとにな;;;)、渋澤龍彦さんの言葉を借りて、その他感じたことを諸々少し呟きたく。
黒曜・連合エクステンデッド・トリニティ。
いつも心惹かれてしまうのは、こういった世界の子達です。
もう、どうしようもなく偏愛してしまいます。
以前、三輪士郎さんの漫画“DOGS”に登場する人物然り、永野さんのF.S.Sの騎士や(ファティマ)然り。(←こちらは主人公たちがそういった存在です^^)
それぞれ、生い立ちやら取り巻く状況が微妙に違うのですが、彼らは非社会的存在なのだと思います。
彼らは怒り、泣き、笑ったり、時には誰かに好意を寄せたりするのだけれども、決してわたしたちの隣人ではない。
(と言っても、隣にいる人間とさえ、分かり合っているかというと、そこもアレなんですが。わはは。笑)
彼らは暴力肯定のアンチ・ヒューマニズム、根底にあるのは純粋否定なんだと思うのです。
なにを否定するかというと、わたしたちを。
わたしたちの持っているものを全否定されてしまう。
というのは、わたしの勝手な考えなのですが。笑。
社会に属さず、恩恵を初めから受けられず、受けることもない階級離脱者、非社会的存在。
わたしたちが成れるとしたら“非社会的存在と成り果てる”ことなのですが、彼らは違う。
“成った、成り果てた”のでなくて、既に最初から“非社会的存在として生まれ出た”のです。
“その特殊な能力(存在)によって、好むと好まざるとにかかわらず、闘争をさらに激化させるモメントとなっているかのごとくである。すでにそれ自体ひとつのモメントでしかないのだから、この純粋否定の権化には、ヒューマニズムもへったくれもないだろう。それは必然に暴力肯定に傾くであろう”
▲澁澤さんの言葉。
非難されるのを承知で言えば、ネーナのあの行動について、わたしはあまり問題にしていません。
非難する気持ちがあまり無いのです。湧いてこない。擁護の気持ちも無い。
黒曜やエクステンデッドの行動も。
※黒曜は直接、その行為の場面を見ていないのですが、骸さんのすることはえげつないと思います。でも好きだよ!
(湧いてこないのは当然で、所謂神の視点で見ているのだし。彼らの過去、行動を見、また、ある程度仮定できるのだから←とえらそうに言っても少しだけなのですが。現実も架空も心ははかりしれないので)
わたしが問題にしたい、考えたいと思っているのは、わたしがルイスたちの状況になったら、わたしはどうするだろうか?です。
どうするんだろうか、わたし………。
というか、人生の中でふりかかったことを何度も考えながら、答えをおぼろながらも出しているのですが、このことについては打つべきことではないので沈黙。
それでも、今でも考え込んでしまう。
突然の暴力に、もし生き残ってしまったら、いったいどうしたらいいのだろう。
ということで『オレがガンダムだ』と言った刹那君がすごいと思いました。
前に色々言ってごめんなさい。テレビの前で土下座しました。
その言葉に、わたしの気持ちは頭半分後ろへ吹っ飛んでいったよ。
ガンダムマイスター頑張れ!
ダブル00
ヨハンの、あの無表情に淡々と破壊していく様は、なんというかまるで“宿題を黙々と片付けている”みたい。
黒曜の子達は何れ組織(属しているわけでもないか…)に反旗をひるがえすだろうなぁと思ってます、とうか希望? え、夢?
(雲雀さんはモンスターの最終形態でいいと思います。なんか、もう、あの人は突き抜けている。つまりモンスターの最終形態とは“人間”のこと。という言葉遊び)
混乱の種を一つ。
家族を殺され、自分の肉体をつかって憎いコーディネイター同士を殺し合いさせるようにキラ・ヤマトを差し向けた少女フレイ・アルスターは、非社会的存在になったことによって以前には現せなかった人間性を回復したのだと思います。
その代わりに種運命は、キラが非人間的になったなぁと思えてならないのですがね。
好きだよキラキラ!!
非社会的存在に成り果ててしまう原因のなかに多くあるのは、あまりに人間的感情にあふれすぎたために、かえって社会から疎外されてしまった者たちのことだそうです。
アンチ・ヒューマニズムというのは、単純に“ヒューマニズムの反対”ということではないです。
澁澤さん曰く
“人間の精神的・肉体的な変形を許容する考え”
つまりは以前に叫んだことのある――――“人間中心なんてうんざりだ(まっぴらごめん)!!!”――――でしょうか^^
混乱の戯言おわります。誤字脱字勘違いごめんなさい。
いつでもどこでも勘違い。勘違いだらけ。
機会ございましたら、また今度。
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