メルロ・ポンティの本を、また読み返している。
何度も読み返す。
だって………頭、パーなんだもん………。
orz
一回目読んだとき、言葉が氾濫して爆発して飛び散っていったので、読んだ後はポケ~~~としていまスタ。
本を読んでも、頭パーになる。
ちーたりんです。
イーグルトンの「甘美なる暴力」も読み返したい。
ネーナを見ていると、青柳いづみこさんのエッセイ「無邪気と悪魔は紙一重」を思い出すです、はい。
あぁ、トリニティよ………と引きずられる猿……。
ネーナがソレスタの掲げている戦争根絶に無関係の人間たちを殺してしまったこと――――は、えーと、殺人(大量)の問題になるんで、すよね。
殺人かぁ~。(そこにどんな事情があるにせよ、彼女らも彼らも人殺し)
殺人の問題は………極論になってしまうと、人間は自由であるかどうか、ってことな問題になるんかな、と、なんか間違った方向のことをブツクサと。
マイスターになるために生み出され、ミッションを遂行し、最後は消されるトリニティは、自由もへったくれねーな、なのに一人は、真っ向から自由であることをぶっ放してしまった、っていっても、にぃにぃずがいてこその行動でもあるわけだし、うーん。
人間の自由の可能性、自由自由………あ。キラだ。キラキラ、フ~リ~フリ~ダムダム。
シオランの本を持って本に埋もれてごろごろ転げまわっていましたら、思い出した言葉がありました。
“同じ種の動物どうしは殺し合いはしない。人間だけが人間を殺す。この点で、人間は激しく非難される。――――だが、ここだけの話だが、これは異常でもなんでもない。人間でないとしたら、いったいだれを殺すのか。人間以上に殺害に値するものがあるのか”
「生まれてきたことこそ、死にまさる真の災厄だ」っていう“誕生の災厄”を読もー。
あと残り二話で、いったい何が起こるのだろう。怖い;;;
………あ。もし二期で生き返りとかあったら、正直、気持ちをどうしたらいいか見当もつかん。アリーとのことで、大好きになったロクオン兄貴だけに。
種死ぃぃぃ………。それはぁぁぁ………。ちょっと――――!! てなもんで。
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